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コスモス
02.08.31
台風が去り、コスモスが一斉に咲き始めると、秋が始まる。無造作に茎を伸ばして、風のままに飄々とただようコスモスは、秋の寂しさを象徴する。
庭先のコスモスは可憐で、秋の風情を感じさせるが、河原などの荒れ地に咲くコスモスは荒々しく自己主張する。孤独で独善的だ。

◆  ◆  ◆

野良犬の「シロ」が家の庭先に迷い込んできたのは、遅い台風が去った翌朝だった。びしょぬれで泥まみれの体を、満開のコスモスの間に横たえていた。母が朝、茗荷を取りにいって気がついたのである。まだ子犬で、傷等はなく、空腹と疲れで倒れたようで、ただク〜ク〜となくだけだった。
牛乳を与え暫くすると元気になり、どこかへいってしまったのだが、翌朝、また、コスモスのところまできて、ク〜ク〜とないた。
母がいつも餌をあたえるようになり、いつのまにか家の傍を離れなくなって、我が家の一員になってしまった。体を洗ってやると、毛が真っ白だったので、誰からともなく「シロ」と呼ぶようになった。
最初は柴犬ほどの大きさで、小学5年だった私にはちょうどいい遊び相手だったが、あっというまに、立ち上がった時には私の背丈よりも大きくなり、じゃれつかれると、いつも倒されていた。
飼っているという意識はなかったので、繋いでおくこともなく、シロの自由にさせていたのだが、番犬きどりで、夜、村の人が訪ねてきたりすると、まつわりついてさかんと吠えた。そのうちに、苦情がくるようになったため、父が、兄にどこかへ連れていくようにといった。兄弟全員で反対したのだが、父が折れることはなく、その時高校生だった兄が、自転車で赤川を超え、10数キロ離れた朝日村の方へ連れていって、シロを置き去りにした。
その日は、みぞれの降る日で、12月に入っていたと思う。シロが迷い込んできてから2ヵ月以上経っていた。
私は、シロが必ず戻ってくる予感がしていたが、次の日も、また次の日も戻ってはこなかった。
雪が降った朝、母が「こんな雪の中で、シロはどうしているだろう」と話していた時、庭先でシロが吠えた。玄関を開けると真っ黒になったシロが、雪の中でしっぽを振っていたのである。
父は、もう捨ててこいとは言わなくなったが、シロは縁の下の柱に、鎖で繋がれることになってしまった。シロを散歩に連れていくのは私の役目で、鎖を離すことは禁じられていたが、春になって、赤川などに散歩にいったときは、鎖をとって河原を走り回って遊んだ。その時のシロの喜びようは、ほんとに文字どおり、跳んだりはねたりで、体中で喜びを現していたものである。

秋になって、稲刈りもほとんど終わり、田んぼのあぜ道にもコスモスが咲きはじめた。シロがきてからちょうど1年経ったある日の夕方だった。
いつものように、学校から帰るとシロを連れて赤川に散歩に出た。田んぼのあぜ道の途中で鎖を外すと、シロは喜んで少し先まで走って、振り向いてはまた、走っていく。その日は途中で何かを見つけたらしく、しばらくあぜ道の草に首を突っ込んだまま立ち止まっている。私が追い付いて、「行くよ!」といっても付いてこない。私はかまわず先へいったのだが、いつまでも来ないので振り返るとなんか様子がおかしい。何かを吐いているのだ。それでも「シロ!」と呼ぶと飛んできて、いつものように遊んで帰ったのである。

その晩、シロの様子が急変した。縁の下で騒いでいるので覗いてみると、腹ばうようにして、背中を波打たせながら吐いているのだ。父はまだ帰っていなくて、母に言ってシロを囲炉裏端に上げ、体をさすった。母が正露丸を持ってきて飲ませたが、苦しそうに体を波打たせるだけだった。
父が帰ってきて、「ネコイラズだ」と言った。
その時はもう、シロは苦しそうに息をするだけでほとんど動かなくなっていた。
「死ぬな〜」私は泣きながらシロをいつまでもさすっていた。
そのうちに眠ってしまったのだろう。朝、「一緒に行くか?」と父に起こされた。

シロはムシロにくるまれ、荒縄で縛られてリヤカーの上に横たわっていた。ムシロからわずかにはみだした尻尾が、シロであることを知らせていた。
父は、庭にある頭ほどの大きさの丸い石に、墨で戒名を書き、スコップや水を入れたヤカン、ろうそくなどと一緒にリヤカーに積んだ。
私は泣きながらリヤカーを引いて「新墓」と呼ばれていた村の墓地へ運んだ。まだ日の出る前の、薄明るい時間だった。

その日は晴天で、日の出前の薄いピンクの空をバックに、珍しく月山がくっきりと見えていた。代々の墓の横に穴を掘り、シロを入れた。穴を掘っている間、私は昨日の出来ごとを父に話した。
「おれがシロを殺したんだ」と泣きながら何度も言った。
父は「誰のせいでもね」と言っただけだった。
それから、土をかぶせ、戒名の書かれた石を置き、線香とロウソクに火を付け、ヤカンの水を石にかけた。
「花でも飾ってやれ]
と父が言った。
墓地の横には一株の荒々しい、白いコスモスの花が咲いていた。コスモスをちぎろうとしたが、それは太く、ほとんど茎が木質化していて、子供の手では折ることができなかった。父が、草刈り用に持ってきた鎌で2〜3本切って、シロの墓の前に差した。
月山から朝日がかっとさした。正面に月山があり、朝日は月山の真上から昇ってくる。
父は朝日を真正面に受けながら長いお経を読んだ。無造作に差したコスモスが秋の風に揺られていた。

◆  ◆  ◆

「シロ」は、コスモスと共にあらわれ、コスモスに見守られて死んでいった。コスモスを巡る一つの悲しいドラマではあるが、その悲しさはコスモスのせいではない。
コスモスが時折見せる寂し気な表情は、私が創りだしたものであり、人それぞれが創りだすものである。
本来、コスモスは風のままに飄々とただようだけであり、孤独で独善的だ。