昭和20年代から30年代にかけて、学校で「よいことばを使いましょう運動」というのがあって、それはまず、「お父さん」「お母さん」と呼ぶことから始まった。
それまで、庄内では、父親の事は「だだ、とど、てで、おど、だんぽ、だだちゃ、とっちゃ、おどちゃ、おどはん、だだはん」など、また、母親の事は「がが、んま、なな、あば、ががちゃ、んまちゃ、かっちゃ、おがちゃ、かがはん、おがはん」などと各家庭でさまざまな呼び方をしていた。それを突然、「お父さん」「お母さん」と呼ぶように言われても、呼ぶ方も恥ずかしいが、呼ばれる方はもっと恥ずかしい。
「なんだや、このやろだば、きもぢわり」
なんてことになる。
また、庄内弁の語尾は多様で、例えば「〜ですね」などと使う終助詞の「ね」にあたることばには、「の、のう、のし、のや、んな、しや、にや、や、し」などがあり、地域や性別、職業、あるいはその時の気分などによって使い分けられているのだが、それは悪いことばだから、よいことばの「ね」を使うようにと指導される。それまで「ええ天気だんな」と言ってたものが、突然「ええ天気だちゃね」などと、とんでもないことばを使うようになってしまう。
ややこしいことに、庄内弁には「ね」というのがあって、「行がね(行かない)」「来ね(来ない)」などと使う「ない」の訛ったものなのだが、これは悪いことばだから直すように言われる。「ね」を「ない」に直すだけなのだから簡単なようなものだが、「さね(しない)」「聞けね(聞こえない)」「やじゃがね(〜してはいけない)」などといったことばは、困ってしまう。「やじゃがない」とか「やじゃぎません」などと言っている人もいたほどである。
「きみ、おまえ」にあたる「わね」という男ことばがあって、これがまた悪いことばなのだ。わかってはいても、「きみ」などということばは恥ずかしくて使えない。そこで「わない」という新しいよいことばを発明したりする。
「わねや、明日釣りさ行ごんな」
を、よいことばで言うと
「わないね、明日釣りさ行ごちゃやね」
となる。不思議な日本語になるのだ。
かといって、その当時の庄内の子供たちが共通語を知らないわけではない。文章にすれば
「おまえ、明日釣りにいかないか」
と、なんのためらいもなく書けるのだが、口に出して話すのが恥ずかしいのだ。よそよそしく感じられて、仲間はずれにされそうな気分になる。
東京に出てきてからも、庄内弁は悪いことばだという考えが染み付いていたことと、共通語を話すことの恥ずかしさが抜けず、しばらくは話すことができなかった。当時の東北出身の人たちが無口だったり、話ベタと言われる原因は、この「よいことばを使いましょう運動」にあったのではないかと今でも思っている。
今考えてみると、どうしてあんな運動が起こったのか不思議でならない。庄内弁は悪いことばどころか、むしろ共通語などよりもずっと表現力が豊かで、繊細なことばのように思える。
例えば「やばち」という、水に濡れて冷たくて、汚く気持ちの悪いときに使うことばがあるのだが、これを表す共通語はない。また、「たいへんおいしかった」とい共通語は、どのようにおいしかったのかよくわからないが、庄内弁には「ずんでね」「ごんげ」「こうで」といったニュアンスの違うことばがあって、その時の気持ちで使い分けている。庄内弁には、気持ちを表すことばが多彩にある。庄内人が情に厚いと言われるのは、そのことばと無縁ではないだろう。
今年は庄内ブームになりそうである。「蝉しぐれ」をはじめ、藤沢周平氏原作の庄内を舞台にした映画が続くはずである。「悪いことば」と教えられた庄内弁が、日本全国を席巻する日がくるかも知れない!と思うと夢のようでもあり、痛快でもある。
▲「でどごのながし」=台所の流し。山から樋で水を、家の中まで引いてきて、そこで洗い物などをした。その水が、小川になって、家の中を流れている家もあった。風呂は大体、このように流しのそばにあった。
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