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野の花図鑑
私の庄内物語
無一庵
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トップ  >  003. 雑魚(ざっこ)しめ

小学生になってからは、同じ村の子供たちとも良く遊んだが、一番いろいろ覚えているのは、兄と一緒にやった「雑魚しめ」だ。

春の田植えのころから秋の稲刈りが終わるまでは、田んぼの用水路で、ドジョウやナマズ、フナ、コイなどがよく捕れた。

特に田植えの終った5月から6月にかけては、毎日、学校から帰るとすぐ、兄二人がケンコ網(竹を半月状にしたものに網を取りつけ、弓の言にあたる部分の中央に竹の棒を取りつけた万能の魚捕り網)と箱網(ドジョウ用の網)を持ち、私はバケツを持って、すぐ近くの用水路に走って行ったものだ。

捕まえたドジョウは、大概、味噌汁やドジョウ鍋になり、ナマズは照り焼きに、コイやフナは池に放された。

夏は赤川で、深い淵などに潜って、鯉やナマズをヤスで突いたり、ガラス箱を覗きながらカジカなどを突いたりしたのだが、私がまだ低学年の頃は、危ないからと岸で見ているだけ。自分でも潜るようになったのは、小学5年生頃だったと思う。

当時はまだ、川漁師がいて、船で川を渡りマスを突いたり、投網でアユを捕まえたりしていた。魚が豊富だったのだ。

また、赤川の支流で高寺川という川があり、そこでは、夏はササアミという小鳥を捕まえたりする網に似た網を川一杯に張って、大きなコイやハヤを捕まえたりしたが、それには、私も魚を追う役目として参加することを許され、本当に興奮する漁で、鮮明に覚えている。

秋になると、その高寺川の赤川に合流するあたりで、川蟹を捕った。 川に生えている柳の枝で、カニドという蟹を捕まえる罠を作り、夕方、川に仕掛け、早朝にその罠を回収するというもので、これも良く捕れた。

この川蟹は、ちょうど上海蟹ほどの大きさで、大きな鋏に茶色の毛が生えていてかなり獰猛なのだが、食べると非常においしく、捕まえてくると父はいつも喜んだ。

秋になると水が冷たく川には潜れなくなるので、釣りでコイ、フナ、ナマズ、ハヤなどを狙った。

早朝5時過ぎから釣竿を持って川に走り、1時間ぐらい釣って家に戻り、朝ごはんを食べ、学校に行く、といのが大体の日課だった。

台風などで川の水が増水すると、川の淵に大物が入り込んでくるので、大きなナマズやコイが良く釣れたものだ。

私のすぐ上の兄とは3つ、その上の兄とは5つ歳が離れていたので、私が小学の高学年になった頃には、もう兄たちはあまり雑魚しめなどしなくなり、私は弟を連れて赤川に走ったものだった。

不思議なことに、村の子供たちと一緒に雑魚しめをした覚えはない。

雑魚しめに夢中だったのは、私の兄弟だけだったのかもしれない。

 

この雑魚しめに関しては、忘れられないエピソードが数々あるのだが、それをここに書いていると、いつまでも小学生のままになってしまうので、以前、私のサイト「旧・私の庄内物語」にちょっと書きはじめていた「雑魚しめクラブ」を見ていただきたい。川蟹やナマズの土管つこし、ドジョウ売り、ヤツメウナギのひぼりなどの話を載せている。 サクラマスを追いかけた話や岩魚を釣りに行った話などを書くつもりだったのだが、途中で投げ出してしまったものだ。

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