「生きた化石」ということばがある。絶滅したと思われていたものが、実は生きていた、という時に使われるようだ。その伝で言えば、庄内弁はことばの「生きた化石」と言えなくもない。
いしぎ(お祭り)、いだまし(おしい)、おどげ(下顎)、けなり(うらやましい)、しげね(さびしい)、よんま(夜)などは庄内弁だが、庄内弁であること以外にも共通点がある。がおわかりだろうか。
「いしぎ」は「会式」、「いだまし」は「痛ましい」、同様に、おどげ=おとがい、けなり=けなりい、しげね=繁ない、よんま=よま(夜間)である。つまり、共通点はいずれも古語だということである。
実は庄内弁には、かつては全国で広く使われていたことば(古語)がたくさん含まれている。
など、思い付くままに並べるだけでもすぐ、20〜30は出てきそうだ。前回も書いたが、庄内はことばの吹きだまりである。昔は中央で使われていた公家や武士、町人のことばが「庄内」という、出口のない袋小路に閉じ込められて、今に残っているのだろう。古語辞典を調べるまでもなく、明らかに語源が古語にあることがわかることばが多い。こうしてみると、庄内弁というのは、江戸時代どころか奈良時代までも遡る古語が、現在でも使われているという珍しい例なのではないだろうか。まさに、ことばの「生きた化石」発見!といったところだ。
しかし、その「生きた化石」も絶滅の危機にさらされている。現在、庄内の若者が話すことばは、語尾こそ庄内弁を保っているものの、単語はほとんど標準語だ。私がたまに帰省して、姪や甥と話すと、叔父さんのことばはわからないと笑われる。
私は高校を卒業してすぐ東京に出てしまったので、私が覚えている庄内弁は、40年前の庄内弁だ。テレビが普及する直前で、まだ誰もが正調庄内弁を話していた時代だった。当然、私は当時の庄内弁で話すのだが、もう、今の若者には通じないようである。
数年前の夏、庄内にいる妹を訪ねた時、子供たちに
「こどしは、みずおよぎいたがや」
と聞いて、大笑いされたことがあった。
私はこの子たちにはいつも笑われているので、ずいぶん用心して標準語に近い庄内弁で話したつもりだったのだが、 「"みずおよぎ"てなんだや」
ということ。つまり、"みずおよぎ"ということばが、どうも最近の子供たちにはおかしいらしい。
"みずおよぎ"とは"水泳ぎ"で、別に庄内弁でもないし、昔は、「川さ、水泳ぎいご」などとよく使っていた。
「としょりだて、今だば、そげだこどばなの使わね」
と、妹にまで笑われる始末である。
たかが40年かそこらで、"みずおよぎ"ということばは死語となってしまった。子供たちにとっては、いわば、すでに「古語」なのだ。ましてや、古語の「生きた化石」である正調庄内弁は、もう、誰も話さなくなって、本当の「化石」になろうとしている。
広告などに携わっている関係上、私も少しはことばに気を使っているいるつもりなのだが、この変化のスピードには追い付いて行けないようだ。
意味のわからない庄内弁を話す私は、子供たちにとって、それこそ「生きた化石」なのかもしれない。
▲多層民家の正面。画面の左側に「戸の口」あるいは「出の口」と呼ばれる、通常の出入り口がある。画面左の板張り部分は、普通は、「でべや」といって、若夫婦の部屋になっているのだが、この家の場合はよくわからない。右側の格子のある部屋は、「茶の間」。写真には写っていない画面の右側に、「特別のお客様が出入りする正式の玄関があるのだが、この家にはなかった。
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